本姓:土肥氏(桓武平氏良文流)
家祖:小早川遠平(1200年前後)
家紋:左三つ巴
・相模から安芸へ
遠平は平氏討伐の褒章として安芸国沼田荘を与えられ、その後、彼の養子である景平が領地を譲られて沼田荘へ拝領した。建永元年(1206年)、景平は長男の茂平には沼田本荘を、次男の季平には沼田新庄を与える。その茂平は承久の乱で戦功があり、安芸国都宇荘(つうのしょう)、竹原荘(たけはらのしょう)を加増された。
・沼田小早川氏(本家)
茂平の三男である雅平が沼田本荘を与えられて高山城を本拠としたのが始まり。
元弘の乱で六波羅探題に味方した為に後醍醐天皇政権により沼田を没収されかけるが、分家の竹原小早川家のとりなりによって旧領を安堵された。その後、小早川水軍が築かれていく。
・竹原小早川氏
茂平の四男である政景が、茂平が承久の乱の際に得た領地の一部を与えられて木村城を本拠としたのが始まり。
分家筋にあたるが、元弘の乱で足利氏に味方した事が幸いし、室町時代中期には本家と拮抗するほどに成長。最後の当主である興景の妻は元就の兄・興元の娘である。
家祖:小早川遠平(1200年前後)
家紋:左三つ巴
・相模から安芸へ
遠平は平氏討伐の褒章として安芸国沼田荘を与えられ、その後、彼の養子である景平が領地を譲られて沼田荘へ拝領した。建永元年(1206年)、景平は長男の茂平には沼田本荘を、次男の季平には沼田新庄を与える。その茂平は承久の乱で戦功があり、安芸国都宇荘(つうのしょう)、竹原荘(たけはらのしょう)を加増された。
・沼田小早川氏(本家)
茂平の三男である雅平が沼田本荘を与えられて高山城を本拠としたのが始まり。
元弘の乱で六波羅探題に味方した為に後醍醐天皇政権により沼田を没収されかけるが、分家の竹原小早川家のとりなりによって旧領を安堵された。その後、小早川水軍が築かれていく。
・竹原小早川氏
茂平の四男である政景が、茂平が承久の乱の際に得た領地の一部を与えられて木村城を本拠としたのが始まり。
分家筋にあたるが、元弘の乱で足利氏に味方した事が幸いし、室町時代中期には本家と拮抗するほどに成長。最後の当主である興景の妻は元就の兄・興元の娘である。
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