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2025/05/15 16:13 |
親成さんから手紙が来ましたよ

立花親成さんから来た、「羽内記」さんへのお手紙です。
ちなみに親成さんと言うのは、後の名で言うと宗茂さん。変名大王(違う)の宗茂さんが「親成」と名乗り始めたのは、文禄三年(1594年)後半から翌年前半の事なので、文禄の役で朝鮮半島にいた時に変名されたものと思われます。ちなみに次のお名前に変えるのは関ヶ原直後の事なので、このお手紙は1594~1600年の間に書かれたものです。
「羽内記」ですが、これはもちろん羽柴内記こと秀包さんです。次の記事で取り上げますが、秀包さんが関ヶ原の時に家来の人にあげた感状での名乗りが羽柴内記なので、間違いないかと。 親成さんの「羽左近」は、羽柴左近侍従の略ですしね。このお二人は義兄弟だそうなので、きっと手紙も面白い事が書いてあるに違いない…!いつか訳せるようになろう(うん)
 



尚以、これ不とニ申候事も、いまハ不入事とて候へとも、此中何々と申候事を、若心中相違之様ニ可被思召哉と存、貴様迄申入候、重而可得御意候間、此書中貴様ニおかせられ候へく候、

今朝如得御意候、此中以粟平石、自堅兵少(堅田元慶)披仰越儀共候つ、其御返事委申入候、併於子細者、貴様へ御物語申候分候、然ハ書物之事、連々如申候、心中少も非如在候段者、御為に成事ハ有之ましく候、拙者身のため之事候間、自此方望候ても支度心中不浅候へ共、此中如申候間、彼方此方にみたりに書ちらし候て、何を正義ニなされ、こなたも正義に可成儀、不致分別候、惣別大体之事ふハ、我人存寄事も物を申されさる事、御存之前候間、不及申候、惣様の世上の方角なりを御分別候へく候、とかく拙者式事ハ、何を存候ても申候ても、疎迄ニ存候てハ不事成身上とて候、其故、朝鮮在陣以来申舊候、干今心中少も無替儀候へ共、大体のなりとて候へハ、不申出事候、此旨直ニも申上、兵少へも申入度心中候へ共、左様ニ申候へハ、右申候姿も不入口能ニ罷成候間、其御理たんたん申入候て以後、御談合は(ほ?)くとていか様ニもと存事候、心中の事、御うたかひニ不及候、いか様ニとりまハし候ても、我等身のためより外無之候間、一段此方のためにハ忝事共候、向後ふりふりと存候故、不残心底、存分之通申事候、少も表裏をのなととかりそめニも御心中候へハ、無残所と存、念ヲ入申候、向後心中の通ハあらハれ可申候、少も非如在候、貴様とのかれさる事候、さやうに候へハ、御覧しすてらき候ハんとも不存候、かやうの申事、向後いささか以不可有相違候、若於偽者、
愛宕、白山、八幡大菩薩、 天道も御照覧、不存別儀候、能々被仰分可被下候、恐惶謹言、
              五月三日             親成(花押)

・包みに書かれていた部分
「                    羽左近
  羽内記様                親成
       人々御中              」

何書いてあるのかさっぱりわからん…。
わかるのは最初の方に書いてある「詳しい事はその人が話して聞かせますからー」の部分くらいだ…(…)
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2009/03/09 21:42 | Comments(0) | 小早川秀包/大友桂姫

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