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2025/05/12 13:30 |
基本データ:穂井田元清
秀包の同母兄。元就の四男(五男)。

読み:ほいだ もときよ

生没年:天文二十年(1551年)~慶長二年七月九日(1597年8月21日)
享年:48歳

幼名:少輔四郎
改名履歴:大江元清⇒穂井田元清⇒毛利元清
  ※最後の改名は1585年、長男秀元が毛利輝元の養子になった為。
官位:伊予守、治部大輔、侍従(従四位)
戒名:洞雲寺殿笑山常快禅定門
墓所:広島県廿日市市佐方洞雲寺(妻の来島氏も同じ)

妻:来島通康の娘・松渓妙寿(妙寿院)
子:毛利秀元

妻の妙寿院とは1568年頃に結婚か。
来島氏は伊予の大名で、強力な水軍を持つ村上氏の一派。厳島の戦いで援軍として参陣。その後も積極的に元就の力となっており、宇都宮氏との戦いの際には元就が援軍を派遣している。1567年に妙寿院の父である来島通康は病死しており、次に家督を継いだのが幼子の通総(恐らくは妙寿院の弟)である事から、水軍との結びつきを重視する元就と毛利の庇護を確実なものとしたい来島氏の思惑が一致した結果…かもしれない。(待て)
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2009/03/05 00:53 | Comments(0) | 毛利家

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